中学受験で学力を測る理由は、大学受験への準備、AIやグローバル化へ対応するため


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中学受験で学力を測る理由は、大学受験への準備、AIやグローバル化へ対応するため シリーズ私立中講座⑤

シリーズ私立中講座

子供たちは勉強を求めている!

目次
  1. 私立中の入学試験
  2. 中学受験で学力を測る三つの理由
  3. 受験勉強についての二つの見方
  4. 勉強もスポーツ・芸術も同じ
  5. みじんもない

私立中の入学試験

私立中に入学するためには入学試験に合格しなくてはいけない。

各中学校、教育理念を反映させた入試問題が出題され、それを見ると各学校がどんな学力を持った生徒に入学してほしいか、読み取ることができる。

大半の私立中では小学校の学習内容だけでなく、応用発展問題も出題され、中学・高校範囲からも出題されている。
だからと言って、中学・高校範囲まで学習する必要はない。
問題文に解法の手がかりとなる内容が説明されており、それを理解して取り組むと正解にたどり着ける問題だ。学力の基礎となる幅広い知識と読解力、思考力、さらに、日々の生活の中で身に付く知識や、現代社会の中で世界も含めた時事的な興味関心も求められる。
小学校の教科書範囲の学習だけで入試問題を解くのは難しく、塾、家庭教師などで応用発展的な受験勉強をして中学入試に臨むことになる。

中学受験で学力を測る三つの理由

三つの理由

ではなぜ中学入試で、これだけの学力を測る試験が課せられるのだろう。
公立中のように学区内の生徒であれば自動的に進学できるのとは大きな違いだ。
なぜなら、どの私立中も将来社会で活躍できる人材育成に努めており、大学進学、さらにその先を見据えた教育が行われており、それをより潤滑に行うためには、入学時点で一定の学力が必要になるからだ。

①中学高校の学習に必要な学力
学習に限らずどんな分野でも基礎が大切だ。
私立中の中1の学習はそれが習得されていることを前提に始まる。

なぜなら現状の大学入試を見ると、それだけのレベルの学力を習得しておかないと、とても大学受験に間に合わないからだ。
さらに、大学入試改革を受けて、従来の知識だけでなくそれを活用する力も求められ、そのために、まず知識の習得の重要性が今回、下記の通り謳われている。
学力のベースとなる知識が身についていなければ思考力は育たない。
2002年のゆとりカリキュラムとは真逆の方向性だ。知識より思考力という見方は明らかに間違っている。

【2020年の大学入試改革に向けて、新しい観点の学習】
(1)基礎的な知識および技能を獲得させること。
(2)これからの社会で生きていくために必要な「主体性を持って多様な人々と協働して学ぶ態度(主体性・多様性・協働性)」を育成すること。
(3)「知識・技能を活用して、自ら課題を発見しその解決に向けて探究し、成果などを表現するために必要な思考力・判断力・表現力の能力」を育成すること。

②21世紀に必要な学力
短期的な大学入試だけでなく将来を見越した場合、科学分野の発展、グローバル化により、今後より多くの知識、それらを活用できる思考力や判断力が必要になる。
過去起こりえなかった現象や問題に、従来の知識だけでは対処できなくなるのは、現在のAIなどが社会進出していることからも分かる。

勉強は中学校からでよい、というのんびりとしたことを言っている時代ではないのだ。

③努力する姿勢を身に付ける
入学試験を行う学校は、受験生に努力することの尊さを理解し、その姿勢が身に付いた生徒に入学してほしい、という考えがある。

入学試験は「どれだけ学力が身に付いたか」、と同時に「どれだけ努力する姿勢が身に付いているか」も見る入試とも言える。

学校としては目標に向かって一所懸命、頑張ってきた生徒に入学してほしいのが本音だろう。この努力する姿勢は受験生にとって、一生の財産になるものだ。

受験勉強についての二つの見方

二つの見方

この中学入試の受験勉強の様子はマスコミでも扱われ、入試直前の時期にハチマキをしめて学習する小学生の姿が風物詩のように報道される。

残念ながら、この受験勉強についてマイナス的な見方がある。
そこまで学習する必要はない、のびのびと外で遊んでいるのが子供の自然な姿だ、勉強をし過ぎると心を病むなど。

一方、スポーツや芸術分野で、大会やコンクールを目指して懸命に練習に励むことへの批判はなく、むしろ奨励されている。
野球やサッカー、ピアノやバレーなど、長時間の練習をして、休日の試合や発表会に多くの子供や保護者が参加する。
ところが、受験勉強になると、「かわいそうだ」、「ガリ勉」、「秀才は冷たい感じがする」など、マイナスでとらえる見方があるのはなぜだろう。

勉強もスポーツ・芸術も同じ

勉強もスポーツ・芸術も同じ

勉強とスポーツ・芸術に違いがあるのだろうか。
一つの目標に向かって日々努力を重ね、遊びたいのを我慢して時には朝早く、夜遅くまで学習、あるいは練習する。
時にはスランプに陥り思うように力が伸びず挫折感を味わいながらも、そこから脱するためにさらに全力投球する。

そして見事、合格、あるいは優勝を勝ち得た達成感は、その後の人生の大きな自信となる。

しかし、第一志望に合格できず第二・三志望校に進学する、入賞することもできないこともあるが、その悔しさをバネにまた新たな目標に向かって努力することができる。

受験勉強もスポーツ・芸術、何ら変わることはない。
いずれも努力する姿勢、自信、挫折から立ち直る強い精神力、これからの人生に必要なものが確実に身に付く。
目標に向かって精進することが尊いことは、小学生でも大人でも、どんな分野でも変わることがない。
私立中学を目指して勉強に励む子供や家庭を揶揄するような見方は、逆に子供たちの成長を阻むことになってしまう。

みじんもない

みじんもない

では実際に勉強をする当事者の小学生はどう思っているのだろう。
進学塾で学習している小学生を見ると、悲壮感、暗さはみじんもない。
なぜなら、幅広い内容をより深く学習できる楽しみを体感しているからだ。
子供たちがより高度な問題に挑戦するときのエネルギーを前にすると、大人もたじろぐものがある。

勉強を否定的にとらえる見方は、この学習する楽しさ、新しいことを学べた喜びを経験したことのない人の見方だ。

そんな見方で子供たちの伸びる芽をつぶしてしまうのは、なんと残酷なことだろう!
これまでゆとりカリキュラムなど、大人の身勝手な考えが子供たちの成長をストップさせ、学力低下の社会問題まで発展させてきた。
進学塾や私立中学校の体験授業に参加すると、この楽しさや喜びの一旦を体感することができる。一度参加してみるといいだろう。

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